広島市を訪れると、街の至る所で美しい水辺の風景に出会います。太田川が運んできた土砂によって形成されたデルタ地帯に広がる広島は、まさに「水の都」。
現在、市内を流れる6本の川には、それぞれに固有の名称があり、そこには400年以上にわたる広島の歴史と、現代に続く街づくりのヒントが隠されています。
なぜ広島は「6本の川」を持つのか?
広島の街のルーツは、1589年の毛利輝元による広島城築城にまで遡ります。もともとは太田川の河口に広がる広大な湿地帯でしたが、城下町として整備される過程で、運搬や防御のために川が整えられていきました。
現代の広島で見られる整然とした河川の配置は、自然の力と、それを活かそうとした先人たちの知恵の結晶です。
現代の広島を流れる6つの河川とその由来
それぞれの川の名前には、当時の風景や人々の暮らしが刻まれています。
太田川放水路(おおたがわほうすいろ)
戦後に完成した大規模な放水路です。現代の広島を洪水から守る要であり、広い河川敷は市民のスポーツやレジャーの拠点となっています。
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天満川(てんまがわ)
川沿いにある「天満町」や「天満宮」に由来します。かつて学問の神様を祀る社が建立されたことから、その名が定着しました。
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本川(ほんかわ)
かつて太田川の本流であったことからこの名がつきました。平和記念公園の横を流れ、現代では「国際平和文化都市」を象徴する風景の一部です。
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元安川(もとやすがわ)
戦国から江戸時代の武将、毛利元康(もとやす)に由来すると言われています。現在は原爆ドーム前を流れる川として、世界中からの訪問者が集う場所です。
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京橋川(きょうばしがわ)
広島城から京都へ向かう道(西国街道)に架けられた「京橋」が名前の由来です。現代ではおしゃれなリバーサイドカフェが立ち並び、都会的な景観を楽しめます。
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猿猴川(えんこうがわ)
この地方に古くから伝わる伝説の生物「猿猴(えんこう)」から名付けられました。広島駅のすぐ近くを流れ、玄関口として多くの人を迎え入れています。
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現代に活きる「水の都」の魅力
かつて物流の主役だった広島の川は、現代において「暮らしの質を高める空間」へとアップデートされています。
例えば、広島独自の文化である「雁木(がんぎ)」と呼ばれる階段状の船着場。かつては荷揚げに使われていたこの場所が、今では水上タクシーの乗り場や、市民が腰を下ろして夕涼みをするリラクゼーションスポットとして活用されています。
現代の広島を象徴する「水辺の楽しみ方」
リバーサイドカフェ: 京橋川沿いで楽しむ朝食やランチ。

雁木タクシー: 川から街を眺める移動体験。

オープンガーデン: 川沿いの遊歩道でのジョギングや散歩。

まとめ:川の由来を知れば、広島はもっと深くなる
私たちが普段何気なく眺めている広島の川。その名前を紐解くと、武将の想い、かつての交通、そして戦後の復興への足跡が見えてきます。
現代の広島が持つ「開放的で穏やかな空気」は、この6本の川と共に歩んできた歴史があるからこそ。次に広島の川沿いを歩くときは、ぜひその名前の由来を思い浮かべてみてください。目の前の景色が、少しだけ違って見えるはずです。


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