広島の街を南北に貫く6本の川。その中で、平和記念公園の西側をゆったりと流れるのが本川(ほんかわ)です。 一見、非常にシンプルな名前ですが、なぜこの川が「本(ほん)」という一文字を冠しているのでしょうか。
その由来を辿ると、広島城下がいかに形作られたかという、街の設計図が見えてきます。
由来は「太田川のメインルート」であった歴史
本川の名前の由来は、言葉の通り「太田川の本流(メインの流れ)」であったことにあります。
広島の街が作られた江戸時代、太田川がデルタ地帯で枝分かれしていく中で、最も水量が豊富で、物流の主役を担っていたのがこの流れでした。そのため、他の支流と区別するために「中心となる川」という意味で「本川」と呼ばれるようになりました。
現在、地図上の公的な名称は「旧太田川」となっていますが、江戸時代から続く歴史的な呼び名として、今も「本川」の名が地域に深く浸透しています。
歴史の中心地としての「本川」
本川は、単なる水路ではありませんでした。広島が「水の都」として発展する過程で、常に経済と暮らしの中心にありました。
本川が担ってきた歴史的な役割をリストアップしました。
- 水運と経済の拠点: かつては物資を運ぶ「川船」の往来が絶えず、川沿いには商家の蔵が立ち並び、街の繁栄を支えました。
- 城下町の西の守り: 広島城の西側を守る天然の堀としての役割もあり、軍事・交通の両面で重要な境界線でした。
- 祈りを受け継ぐ場所: 現代では、平和への願いを込めた灯籠流しが行われるなど、街の記憶を大切に語り継ぐ場所となっています。
現代の本川:美しいリバーサイドを楽しむ
現在の本川沿いは、美しく整備された遊歩道が広がり、広島を代表する景観スポットとなっています。
滔々と流れるその姿を見ていると、名前のシンプルさゆえに、この川が街に与えてきた大きな存在感を感じることができます。平和への祈りや、現代の憩いの場として、本川はこれからも広島のメインストリートであり続けるでしょう。


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