11月11日は「おりがみの日」:広島にとって特別な意味
毎年11月11日は「おりがみの日」として制定されています。
これは、日本人にとって古くから馴染み深い文化である折り紙の普及と、平和への願いを込める日として定められたものです。日付の由来は、紙を広げた時に「1」が4つ並ぶように見えること、また平和の象徴である**第一次世界大戦休戦記念日(11月11日)**にちなんでいるとも言われています。
しかし、この「おりがみの日」が広島にとって特別な意味を持つのは、「折り紙」の単なる文化的な側面だけではありません。広島の「折り紙」は、**「折り鶴」**として、世界の平和を願う最も強いシンボルとなっているからです。
この記事では、「おりがみの日」に改めて知っておきたい、広島の平和の象徴である「折り鶴」と、その物語の核心にいる一人の少女の生涯をご紹介します。
佐々木禎子さんが教えてくれた「千羽鶴」の意味
広島の折り鶴の物語を語る上で欠かせないのが、佐々木禎子(ささき さだこ)さんです。
禎子さんは、2歳の時に広島で被爆し、その後、12歳で原爆症(白血病)を発症しました。病床で、禎子さんは「鶴を千羽折ると願いが叶う」という話を耳にします。
彼女は病気が治ることを願い、薬の包み紙などを使って、一生懸命折り鶴を折り続けました。その数は、千羽を優に超えたと言われています。しかし、その願いが叶うことなく、禎子さんは1955年(昭和30年)10月25日に12歳の若さで亡くなりました。
禎子さんのエピソードは、瞬く間に日本全国、そして世界へと広がり、折り鶴は単なる紙の工芸品から、「核兵器のない平和な世界への願い」を象徴する、かけがえのないメッセージとなりました。
平和記念公園に立つ「原爆の子の像」
禎子さんが亡くなった後、彼女の同級生たちは「原爆で亡くなった子どもたちのために慰霊碑を建てたい」と全国に呼びかけました。この運動によって建立されたのが、広島平和記念公園にある**「原爆の子の像」**です。
像の頂上には、平和のシンボルである鶴を掲げる少女のブロンズ像が立っています。これは、禎子さんをモデルとしたと言われています。
この像の下には、今も世界中から届けられる色とりどりの千羽鶴が毎日奉納されています。この折り鶴は、単なる贈り物ではなく、海を越え、国境を越えて、多くの人々が平和を強く願っていることの証です。
広島の「折り鶴」に込められたメッセージ
広島の折り鶴の物語は、悲しい歴史から生まれたものですが、それは同時に「希望」と「平和への強い決意」を示すメッセージでもあります。
私たちが「おりがみの日」に折り鶴を折ることは、単なる趣味や文化活動を超えて、禎子さんの願いを受け継ぎ、平和の大切さを再確認する行為となります。
以下に、広島の折り鶴の活動において重要な意味を持つ施設を挙げます。
- 平和記念公園・原爆の子の像:世界中から届く折り鶴の奉納場所であり、物語の中心地です。
- 広島平和記念資料館:禎子さんの遺品や折り鶴に関する資料が展示されており、平和学習に欠かせません。
- おりづるタワー:折り鶴を奉納できる施設や、広島の街を一望できる展望台があり、観光客も多く訪れます。
あなたができること:平和のバトンをつなぐ
11月11日の「おりがみの日」は、改めて立ち止まり、平和について考える良い機会です。
世界中の人々が、広島の物語を知り、折り鶴に込めた「平和への願い」を共有していくことこそが、未来へと平和のバトンをつなぐことにつながります。
もし広島を訪れる機会があれば、「原爆の子の像」に奉納されている折り鶴を見て、その重みを感じてみてください。また、どこにいても折り鶴を折って平和を願うことはできます。
一つひとつの折り鶴が、世界平和への大切な一歩となるのです。


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