日本の学校制服の代名詞ともいえる「セーラー服」。その清楚でモダンなデザインは、今も昔も多くの人々に親しまれています。
実は、このセーラー服を日本で初めて学校制服として採用した場所の一つが、ここ広島であるという説があるのをご存知でしょうか。大正時代の広島で起きた、ファッションの革命ともいえるエピソードをご紹介します。
100年以上前、広島の女学校で起きた「制服革命」
1921年(大正10年)、広島市にある広島女学院(当時の広島女学校)において、セーラー服が制服として導入されました。
それまでの女子学生といえば「袴(はかま)」姿が一般的でしたが、当時の校長だったゲーンズ女史が、動きやすさと機能性を重視して考案したといわれています。これは、日本の学校教育の歴史において非常に早い段階での採用であり、広島が新しい文化をいち早く取り入れる「ハイカラ」な街であったことを物語っています。
なぜセーラー服が選ばれたのか?
当時、イギリス海軍の制服をルーツに持つセーラー服は、西洋では子供服や女性のスポーツウェアとして流行していました。広島で採用された背景には、いくつかの理由がありました。
活動的なデザイン
袴よりも動きやすく、当時の体育の授業や日常の動作に適していました。
洋風文化への憧れ
国際色豊かな広島の地で、新しい時代の象徴として西洋のスタイルが受け入れられました。
手作りの精神
当初は、生徒たちが自ら布を裁ち、自分たちで縫って制服を作っていたという驚きのエピソードも残っています。
「発祥の地」にまつわるトリビア
「日本初」については諸説ありますが、広島のセーラー服にはユニークな歴史が詰まっています。
全国で同時多発的
広島女学院のほか、京都の平安女学院(1920年)や愛知の成安女子など、ほぼ同時期に採用が始まったといわれています。
デザインの変遷
広島女学院で最初に導入されたのは、上下がつなぎ合わさったワンピース型のセーラー服でした。その後、より機能的なセパレート型へと進化していきました。
100周年の歴史
2021年には、セーラー服導入から100周年を迎え、今なおその伝統のデザインは形を変えながら受け継がれています。
広島の街に刻まれた「モダンな記憶」
今では全国どこでも見られるセーラー服ですが、大正時代の広島の人々にとって、それを着て颯爽と歩く女学生の姿は、とても眩しく、新しい時代の到来を感じさせるものだったに違いありません。
平和記念公園のすぐそばにある広島女学院の校内には、セーラー服の歴史を伝える記念碑も残されています。広島を訪れた際は、街に息づく「モダンな歴史」の香りに触れてみてはいかがでしょうか。


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