エレベーターが物語る「戦時下の広島」の記憶
11月10日は「エレベーターの日」です。安全な利用や新しい技術に注目が集まる日ですが、今回は視点を変えて、広島の歴史からエレベーターの存在を掘り下げてみましょう。
戦時中の広島、特に原爆投下前後の状況を語る際、ビルや建物の被害が中心になりがちです。しかし、実は当時のビルに設置されていたエレベーターもまた、戦争という時代の波に飲まれ、姿を消していました。
エレベーターが「軍事供出」されたという事実は、現代に生きる私たちにとって、想像しがたい歴史の一コマです。
戦争のために失われた「近代化の象徴」
当時のエレベーターは、単に高層ビルを便利にする設備というだけでなく、近代化の象徴でもありました。それがなぜ、戦争のために失われることになったのでしょうか。
最大の理由は、エレベーターを動かす**「金属(鉄)」**の確保です。
戦局が悪化するにつれて、軍は飛行機や船舶、兵器の製造に必要な鉄資源を全国からかき集めました。これがいわゆる**「金属供出」**です。
当時のエレベーターの昇降機やワイヤー、機械室の部品には良質な金属が多量に使われていたため、軍需資材として非常に価値が高かったのです。
歴史的建造物に残る供出の痕跡
広島市内には、戦火を耐え抜き、今も当時の面影を残す歴史的建造物がいくつかあります。
例えば、旧日本銀行広島支店のような堅牢な建物も、戦時中にはエレベーターが撤去され、金属が軍に供出されていました。
これは、エレベーターが撤去された後の建物が、以下のような状況で利用され続けたことを意味します。
- 階段による移動の増加: 高層階への移動はすべて階段に頼らざるを得なくなりました。
- 物流の困難化: 重い書類や資材の運搬が人力に頼る形になり、業務効率が大きく低下しました。
- 近代設備の喪失: 建物の持つ本来の利便性や近代性が失われていきました。
ゼロからの復興:エレベーターが戻ってきた時代
終戦後、広島は焼け野原からの復興を目指します。エレベーターは、この復興の過程においても重要な役割を果たしました。
焼け残った建物の再利用や、新しく建てられるビルにとって、エレベーターの再設置は**「復興のシンボル」**であり、再び利便性を取り戻すための重要な一歩でした。
戦後の物資不足の中、エレベーターを再設置することは簡単なことではありませんでした。しかし、経済活動が再開し、都市機能が回復していく中で、日本の技術力と広島市民の努力によって、エレベーターは再び広島の街に戻ってきました。
これは、単なる機械の再設置ではなく、広島が再び近代都市として立ち上がっていくという強い意志の表れでもあったと言えるでしょう。
【知られざる事実】エレベーターから見る広島の戦後
| 時代 | エレベーターの役割/状況 | 時代が示すこと |
| 戦時中 | 金属供出により撤去。鉄資源として軍事利用される。 | 国全体が戦争体制下にあり、生活の利便性より軍事が優先された。 |
| 原爆投下直後 | ほとんどの建物と共に大破・焼失。一部の堅牢な建物のエレベーターは既に撤去済み。 | 都市機能が壊滅し、移動手段の確保以前の問題となる。 |
| 戦後復興期 | 新しいビルや復旧した建物に再設置・新規設置が始まる。 | 広島が平和都市として、近代的な利便性を取り戻し始めた。 |
広島の歴史に思いを馳せてエレベーターに乗る
普段何気なく利用しているエレベーター。その歴史の背景には、戦争によって一度は奪われ、そして市民の力で取り戻された**「利便性」と「平和」**の物語が隠されていました。
エレベーターの日に、広島の歴史的建造物を訪れる際は、かつてそこにあったはずのエレベーターが、どんな時代を過ごしたのかに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
安全で快適な昇降機の裏には、私たちの暮らしの安全と平和が守られていることの尊さが込められています。


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