広島市の中心部、かつてカープファンが熱狂した旧広島市民球場跡地。その地下から、江戸時代の広島城下を物語る「武家屋敷の遺構」が姿を現したことをご存知でしょうか。
野球の聖地としての歴史よりもさらに深い場所には、かつてこの地を支えた武士たちの日常が眠っていました。
広島城のすぐそばに広がる「武士たちの居住区」
広島城の南側に位置するこのエリアは、江戸時代、お城に仕える武士たちが住む「武家屋敷」が立ち並ぶ場所でした。
2010年代に行われた発掘調査では、私たちが普段歩いている地面のわずか1~2メートル下から、当時の屋敷の境界を示す石組みや建物の土台、排水溝などが非常に良い状態で発見されました。スタンドの喧騒の真下に、300年以上前の静かな侍の暮らしが保存されていたのです。
発掘調査で見えてきた「武家屋敷」3つの注目ポイント
調査によって明らかになった、当時のリアルな生活の痕跡をまとめました。
整然と配置された「敷地の石組み」
建物の敷地や通路を分けるための石組みが出土しました。広島城の巨大な石垣とはまた異なり、生活の場を整えるための丁寧な手仕事の跡を感じることができます。
武士の暮らしを支えた「井戸と排水溝」
屋敷内で使われていた井戸や、雨水を逃がすための立派な石組みの溝も見つかっています。当時の広島が、水害対策も含めいかに計画的に整備された都市だったかが分かります。
庭園の面影を残す「景石(かげいし)」
武家屋敷には付きものの「庭園」の一部と思われる石も見つかっています。厳しい職務の合間に、武士たちが四季を愛でていた風雅な暮らしぶりが想像されます。
なぜこれほど綺麗に残っていたのか?
通常、都市開発が進むと古い遺構は破壊されてしまうことが多いのですが、この場所は戦後、速やかに「野球場」として整備されました。
重機で深く掘り下げられる範囲が限定的だったことや、球場という大きな施設で覆われていたことが、結果として地下の遺構を現代まで守り抜く「フタ」のような役割を果たしたのです。まさに、野球というスポーツが歴史を保護したといえるかもしれません。
現在、この場所は「ひろしまゲートパーク」として市民の憩いの場になっていますが、その足元には今も武士たちの生活の記憶が大切に保存されています。


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