広島県竹原市の沖合、瀬戸内海の穏やかな海原に浮かぶ「大久野島(おおくのしま)」。 今や世界中から「ラビットアイランド」として親しまれ、年間を通じて多くの観光客が訪れるこの島は、野生のうさぎたちが自由に暮らす穏やかな島となっています。
しかし、かつて子供時代にこの島を訪れたことがある人にとって、今の姿は驚きとともに、どこか不思議な感覚を抱かせるものではないでしょうか。かつての大久野島は、うさぎと遊ぶ場所というより、戦争の歴史を心に刻むための「平和学習の場」という側面が強かったからです。
今回は、一人のリピーターが感じた「かつての記憶」と「現在の姿」のギャップを紐解きながら、この島が私たちに問いかける平和の姿について考えます。
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記憶の中の島:うさぎではなく「歴史」と向き合った日々
数十年前にこの島を訪れた記憶を持つ方々にとって、大久野島のイメージは「重厚なコンクリート」と「静まり返った空気」だったはずです。
「地図から消された島」という歴史
当時の平和学習でまず教わったのは、この島がかつて軍事機密として「地図から消されていた」という事実でした。1929年(昭和4年)から終戦まで、毒ガスの製造拠点であった大久野島は、当時の地図上では空白として扱われていたのです。
子供心に、身近な場所に「存在しないことにされていた島」があるという事実は、大きな衝撃とともに、戦争の特異な歴史を強く印象付けるものでした。
厳粛な学びの場としての遺構
島内には現在も「発電所跡」や「毒ガス貯蔵庫跡」が残っていますが、かつての島は今よりもずっと静寂に包まれていました。 そびえ立つレンガ壁や黒ずんだコンクリートの塊は、決して観光スポットではなく、そこで働いた人々や被害に遭われた方々の苦難を、五感で感じる場所でした。ガイドの方の話を静かに聞き、平和の尊さを学んだあの緊張感。当時の島には今のような賑わいはなく、波の音だけが響く厳粛な学びの場でした。

なぜ「うさぎの島」になったのか?その真相
大人になって再訪し、港に降り立った瞬間に多くのうさぎたちが出迎えてくれる姿を見て、「一体いつの間に、どうしてこんなことになったのか?」という疑問を抱きました。
実は、大久野島がうさぎの島になった背景には、計画的な観光開発とは異なる「平和な時代の歩み」がありました。
8羽から始まった新たな歴史
現在のうさぎたちのルーツについては、竹原市の公式観光サイトなどの情報によると、1971年(昭和46年)に地元の小学校で飼われていた8羽のうさぎが島に放されたことがきっかけとされています。この数羽のうさぎが、天敵がいないという離島の環境下で、数十年の歳月をかけて自然の中で命を繋ぎ、現在の規模にまで増えていったと考えられています。

歴史を塗り替えた「命」の輝き
毒ガスの製造という過酷な歴史を持っていた場所が、数十年という年月をかけて、命が溢れる場所へと変化していった。この変化は、戦後日本が歩んできた平穏な時間の積み重ねを象徴しているのかもしれません。
大人になって感じる「のどかさ」への違和感とその正体
大人になって再訪した大久野島は、驚くほど明るく、穏やかな観光地へと変貌を遂げていました。
観光地としての「のどかな風景」
今や島内には宿泊施設やカフェがあり、フェリーから降りてくる観光客は皆、穏やかな表情でうさぎとのふれあいを楽しんでいます。かつての「戦争の記憶を刻む歴史的な地」としての面影は、一見すると影を潜めているように見えます。

島のいたるところでうさぎがくつろぎ、その横を家族連れが笑いながら通り過ぎていく。このあまりに穏やかな光景に、かつての記憶を持つ人ほど、ある種の「違和感」を覚えるかもしれません。しかし、それは決してネガティブなものではなく、「かつての悲劇の場が、これほどまでに穏やかな場所に変わったのだ」という、平和への感慨に近いものではないでしょうか。
今も島に残る「歴史の語り部」たち
うさぎたちの愛くるしさに癒やされながらも、島を歩けば、かつての「戦争の爪痕」としての足跡が随所に残されています。
- 大久野島毒ガス資料館: 島の中心部にあり、当時の歴史を克明に伝えています。うさぎと触れ合う合間にここを訪れることで、島の風景が持つ意味をより深く理解できます。
- 発電所跡: 島内最大の遺構です。重厚な建物の周辺には、今も多くのうさぎが集まります。歴史的な建築物と野生のうさぎの対比が、大久野島ならではの光景を作り出しています。
- 毒ガス貯蔵庫跡: 山肌に残るコンクリートの跡。かつての負の歴史を伝える遺構が、現在はうさぎたちが日差しを避ける休憩場所となっている姿には、時代の変遷を感じずにはいられません。
私たちが未来へつなぐ「新しい平和学習」の形
「重々しい歴史の島」から「のどかなうさぎの島」へ。
子供の頃の記憶と、大人の今目にする風景。その二つの間にある変化を考えることは、私たちにとって大切な平和学習となります。
うさぎの温もりに触れるとき、そのすぐそばにある遺構が語りかけてくる歴史に、少しだけ耳を澄ませてみてください。多くの歴史を経て、ようやくこの島は「うさぎが安心して暮らせる場所」になったのです。
その背景を知った上で眺める瀬戸内海の風景は、きっと子供の頃に見た時よりも、ずっと深く、平和のありがたさを感じさせてくれるはずです。

大久野島へのアクセス・基本情報
- 所在地: 広島県竹原市忠海町
- アクセス:
- 電車:JR呉線「忠海駅」より徒歩約7分の「忠海港」へ。
- 船:忠海港から「休暇村客船」または「大三島フェリー」で約15分。
- 主要施設:
- 休暇村 大久野島(宿泊・温泉・食事)
- 大久野島毒ガス資料館(歴史展示)
- 公式観光情報:竹原市公式観光サイト「まるごと竹原」

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