序章:広島とバレーボール、切っても切れない「ボール王国」の絆
広島県は、野球やサッカーなど様々なスポーツのチームを擁していますが、バレーボールにおいても特別な地位を築いてきた場所です。この地が、単なる強豪チームの所在地というだけでなく、「日本のバレーボールのルーツ」や「ボール作りの聖地」と呼ばれる背景には、100年以上にわたる深い歴史が隠されています。
この記事では、広島がどのようにしてバレーボール文化を育み、そして幾多の困難を乗り越えてきたかを、その始まりから戦後の復興期に至るまで紐解いていきます。
日本のバレーボールは広島から始まった:「小学校バレーの元祖」
広島でのバレーボールの普及は、大正時代にまで遡ります。その中でも、特に歴史の教科書に刻まれているのが、現在の広島市安佐南区にある古市小学校です。
古市小学校が残した歴史的な功績
古市小学校は、日本にバレーボールが伝わった初期の段階から、このスポーツを積極的に導入しました。
- 大正末期の導入: 体育教育の一環としてバレーボールを取り入れ、当時の児童たちに広く親しまれました。
- 独自のルールと普及: 当時、バレーボールはまだルールが確立途上でしたが、古市小学校で生まれた独自の工夫や普及活動が、日本の小学校バレーボールの原点として全国に影響を与えたとされています。
地域に根ざした教育の場からバレーボールの普及を担った広島は、まさに「ルーツの地」と呼ぶにふさわしい役割を果たしたのです。
世界的メーカーを育んだ「ボールの聖地」としての強み
広島がバレーボール文化を深く根付かせたもう一つの大きな要因が、「ボール産業」の存在です。
広島市内には、世界的な競技用ボールメーカーであるミカサやモルテンが本社を構えています。これは偶然ではありません。
- ゴム製品製造の基盤: 広島には古くからゴム製品やスポーツ用品の製造基盤があり、技術力の高い職人が集積していました。
- 競技への貢献: これらの企業は、国際的な大会で使用される高品質なバレーボールを製造し、競技の発展を側面から支え続けています。
「ボール王国・広島」の技術力と、地域に広がるバレーボール愛が相乗効果を生み、この地をバレーボールにとって特別な場所にしたと言えるでしょう。
戦火を乗り越え、復興のシンボルとなった「広島サンダーズ」の魂
広島のバレーボールの歴史は、悲劇的な歴史の節目とも深く結びついています。特に、原子爆弾投下という未曽有の困難からの復興において、バレーボールは大きな役割を果たしました。
困難を乗り越えた実業団の軌跡
プロリーグで活躍する男子バレーボールチームの広島サンダーズ(旧 広島地方専売局男子排球部)の歴史は、まさに広島の街の歴史と重なります。
創部が1931年ごろとされるこのチームは、戦前の混乱期から活動を開始しましたが、終戦によってその記録や活動は大きな痛手を受けました。しかし、戦後の混乱期において、いち早く再建を果たします。
広島サンダーズが担った役割
- 希望の象徴: 廃墟となった街で、人々が日常を取り戻す中で、実業団チームの存在は**「必ず立ち直る」**という強いメッセージとなりました。
- 日本リーグ唯一の伝統: チームは日本のトップリーグ(現SV.LEAGUE)に第1回から連続出場している唯一のチームであり、これは途切れることなく地域に根差し続けた強い意志の証です。
この不屈の精神は、後の猫田勝敏選手(ミュンヘン五輪金メダリスト)を代表とする名選手たちにも受け継がれ、広島バレーの伝統として今も生きています。
脈々と受け継がれる「広島バレー」の伝統(まとめ)
広島バレーボールの歴史を振り返ると、その成功の要因は決して一つではありません。地域全体が力を合わせ、バレーボールを愛し、大切にしてきたことがわかります。
広島のバレーボールの伝統を支えてきた主な要素は以下の通りです。
- 教育ルーツの強さ: 古市小学校に象徴される、教育現場からの普及と指導
- 産業的な基盤: ミカサ、モルテンといった世界的ボールメーカーの存在
- 不屈の精神: 広島サンダーズが示す、戦火と困難を乗り越えたチームの歴史
- 名選手の輩出: 猫田勝敏氏をはじめとする、日本代表レベルの選手の育成
この地に根付いたバレーボールの歴史と伝統は、これからも広島の人々の誇りとして、そしてスポーツ文化を支える確かな基盤として、未来へと受け継がれていくでしょう。


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