
太田川は「広島の母なる川」と呼ばれる存在。
安芸の国に水と豊かな土を運び、広島城や城下町の基盤をつくったのもこの川のおかげなんです。
江戸時代には舟運の大動脈として栄え、明治以降は水害との闘いの歴史も。
戦後には平和都市の再建を支え、今は市民の憩いの場として、サイクリングや花見、灯ろう流しなど季節の行事に彩りを与えています
🌸春は桜並木、🎆夏は川辺の祭り、🍁秋は紅葉の水面、❄️冬は静かなせせらぎ。
400年以上、街とともに姿を変えながら流れ続ける太田川は、まさに「生きた歴史書」。
ちょっと面白いエピソード
① 川が7つに分かれてる理由
広島の街は「水の都」と呼ばれるけど、これは太田川がつくり出したデルタのおかげ。毛利輝元が広島城を築いたとき、「川をうまく使えば天然の要塞になる!」と考えて城下町を設計しました。広島は“川に浮かぶ街”として始まったんです
② 舟でつながる街
江戸時代、太田川は「舟運の高速道路」。広島城下から海に出て、瀬戸内を渡り、大阪や江戸とつながっていました。お米や材木が運ばれ、川沿いには商人の町が発展。まさに“水上ショッピングモール”でした
③ カッパ伝説もある!?
広島の川には昔からカッパの伝説が伝わっており、太田川でもユニークな昔話として語られてきました。子どもに川の危険を伝える知恵として残ったともいわれ、今の“川遊びマナー”につながっているのかもしれませんね


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